ホラーハウス社会 -法を犯した「少年」と「異常者」たち

ホラーハウス社会 (講談社+α新書)

ホラーハウス社会 (講談社+α新書)

「少年による凶悪犯罪は急増していない」という最近よく聞く議論に関して、
「では急増していないとしたら、今の社会はどうなっているの?」ということを分かりやすく説明している。


筆者の唱える「ホラーハウス社会」とは、人びとの防犯活動・治安管理が、不安はもとより、それとは別の動機によってなされている現状のことだ。
それは人々の「快楽」なのだと筆者は言う。


最近では多くの学校で子供たちによる「地域安全マップ」が作成されている。子供たちは自らの足で街の危険な場所を探し、地域住民へのインタビューを通じてマップを作成する。
「この光景はまさにハイキングであり、遠足であり、社会見学そのものではないか。」と言う。実際、マップ作りに参加した子供の感想からは無邪気な快楽が見え隠れする。
こうした快楽は大人の防犯活動においても指摘され、地域の仲間で集まりお揃いの服装でパトロール隊を結成して活動する様は、あたかも「サークル活動」のようだ。


「治安管理は子供から大人まで、全世代を一体化させてくれる、防犯という名のエンターテイメント」であるがために、「間違いなく人びとはいま、防犯活動を楽しんでいる。」
「一方でメディアを騒がす凶悪犯罪者を怪物として恐怖し、また身近にみかける不審者に脅威を覚えながら、他方ではそこから生まれる不安を打ち消そうと、エンターテイメントとして防犯活動に勤しんでいる。」
このようないびつな社会を筆者は「ホラーハウス」と呼ぶ。


少年法医療観察法の整備により、「危険人物」の排除が進む社会において、あたかも「ホラーハウス」を楽しむかのように、人びとは自分が本当に危険な目に遭ったり、あるいは自分が「排除」されたり、まして自分が「怪物」になったりする可能性を考えること無く、無邪気に治安管理社会の実現に助力していく。
その先にあるのは、「人権や自由などお構いなしに、秩序を守るためだけに容赦なく予防にだけ意を注いでいく」治安管理の仕組みだ。


私自身は治安管理に対して特別なにかをしているわけではないが、
昨今のメディアの報道とそれに対する世間の反応を見てると、危険な因子を予め排除することで、社会秩序を健全に保とうという空気みたいなものを漠然と感じるときがある。
それは犯罪者ではなく犯罪予備軍の探索と排除であり、それが本当に防犯に繋がるかどうかは分からないが、中世の魔女狩りみたいな社会にはなって欲しくないなと思う。