人を殺しちゃいけないワケ

この間テレビで

「なんで人を殺しちゃいけないのか説明してください」

って言ってる高校生を見て、

「は?」って思った。

現在炎上中のブログより。*1

世の中には説明の要ることと要らないことがあって、

その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。

『説明の要らないこと』は、恐らく世の中には無いんじゃないかなと私は思う。
それは「どうして?」と聞いてくる子供に対してゲンコツで応えるようなもの。
説明して欲しいという要求には、説明で以って応えるのが大人ってやつかと。


冒頭の高校生には


『では今からあなたを殺しますが、構いませんね?』


と聞けばいい。
恐らく彼(彼女)は『ダメです。』と答えるだろう。


『なぜダメなのですか?』
『それは○○○だから。』


それが答えなのだと私は思う。


誰にだって、殺されたくない理由はある。
10人いれば10個の理由、1000人いれば1000個の理由、100億人いれば100億個の理由。
唯一無二の、絶対不変の理由なんて存在しない。
人の数だけ、殺されたくない、殺しちゃいけない理由がある。
それが全てで、それ以上の議論はオマケ的意味合しか持たないと私は思う。


昨今よく聞かれる「漫画やゲームが子供に悪影響を与えている」という議論。
私は「悪影響」という点には疑心を抱くが、少なくとも「影響」は与えているだろうと思う。
その影響は、例えば冒頭の「なぜ人を殺してはいけないか」ということを考える「きっかけ」として機能している。
漫画の世界では、実に様々な理由で「殺人」が行われている。
それに接する機会が多ければ、その数だけ「人を殺す理由」を知ることになる。
そこで彼らは考える。
「じゃあ人を殺してはいけない理由は何だろう。」


本来、こういった事柄は「当たり前」に部類されるものだろう。
「そんなこと考えるまでも無い、当たり前だ。」といった具合に。
しかし、今や「当たり前」は効力を無くし、若者は「当たり前」の根幹を問い始める。
それに応える役目を負うのが、学校であり家庭であるのだろう。
「説明が要らない」で終わるのではなく、彼らに対し何かしらの答えを発すべきなんじゃないかな。


はあちゅうさんの言ってることはよく分からないけど
「教育をしっかりしよう」的な部分は分かる気がする。
つまり、若者の疑問を逐一吸い上げ、それに対して誠心誠意応える姿勢が、教育の現場に必要な「当たり前」の姿勢なのだと私は思う。

*1:正確に言えば、ブログの周りが炎上中。コメント欄無いし。