「立花隆が探る サイボーグの衝撃」の感想

NHK番組「立花隆が探る サイボーグの衝撃」を見ました。
最新のサイボーグ事情を垣間見れて、色々と刺激を受けました。
簡単な感想をいくつか思うがままに連ねてみます。

  • 脳は身体から出たがっているのか?

コミュニケーションの進化の方向としては、脳から直接情報を取り出すことが考えられるそうだ。となると、もはや人は身体など必要なくなるのかな。しかし身体性認知科学の観点では、身体なくして知は創発され得ないだろうし、脳同士を直接繋げたコミュニケーションは成立するかもしれないけど、それのみでは人は人を維持できないのだろうな。

  • サイボーグ化した人は「ヒト」を保てるか?

現在のサイボーグ技術は主に医療目的で、例えば失った腕の代わりに機械の腕を装着する例が示されていた。ただ、それが軍事目的となると、人の能力を肩代わりする以上の能力が求められるようになるだろう。それこそ、100mを7秒で走ったり、片手で300kgの荷物を持ち上げたり。やがては一般レベルで身体の一部サイボーグ化が可能となり、身体のチューンナップが珍しくなくなるかもしれない。そのとき体験する世界は、本来の「ヒト」では味わうはずの無い世界になるだろう。確かに技術の進歩は人に新しい体験をもたらし続けてきたけど、サイボーグ化による身体への直接的かつ急速な体験の付与は、人にどんな変化をもたらすのだろう。

  • 脳と身体の進歩は何をもたらすのか?

番組でかなり衝撃だったのは「人工海馬」の研究の話。今はまだラットの海馬をチップ化したレベルだけど、将来的には人の海馬も人工海馬としてモデル化できるかもしれない。海馬は記憶を司る脳の部位で、つまり人工海馬は記憶を人工的に作ることを意味する。攻殻機動隊でお馴染みの「偽物の記憶で上書きする」ことも可能になるかもしれない。攻殻機動隊ではハッカーに偽の家族の記憶を書き込まれた男が登場したけど、反対に自分で自分の記憶を作り替える事も可能になるわけだ。「記憶なんてただの記録。嫌な記録は書き換えてしまえばいい*1」なんて考える人が出てくるかもしれない。ちょっとした失敗や過去の過ち等を書き換え、あるいは全くの別人になることだって可能かもしれない。理想の記憶を手に入れ、理想の身体(=サイボーグ)を手に入れる、選択可能な個の未来。そんな未来、見てみたいようなみたくないような。


一見SFだけど実はかなり現実になっているサイボーグ分野の話。何か参考になる本でも読んでみようかな。

*1:lainより