『迷惑な進化―病気の遺伝子はどこから来たのか』 シャロン・モアレム&ジョナサン・プリンス[著] 矢野真千子[訳] (NHK出版)

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか

迷惑な進化 病気の遺伝子はどこから来たのか

なぜ病気の遺伝子がこれほど多くの人に受け継がれてしまったのだろう? そもそも進化とは、有害な遺伝子を淘汰し、役に立つ遺伝子だけを残すもののはず。なのに、なぜこんな遺伝子が生き残っているんだろう? ―――進化医学の新鋭、シャロン・モアレムが案内するメディカル・ミステリーツアーへようこそ

昨日の『この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス』 チップ・ウォルター[著] 梶山あゆみ[訳] (早川書房) - sta la staが『どうやって進化したんだろう?』にまつわる物語だったのに対し、本書は『なぜそのように進化したのだろう?』という謎に立ち向かう物語だ。
著者の一人シャロン氏は、祖父がアルツハイマー病と診断されたことをきっかけとして医学の道を歩み始め、ヘモクロマトーシスという遺伝子疾患がある種のアルツハイマー病の原因となりうることをつきとめた。
この遺伝子疾患に関しては、西ヨーロッパ人の30%以上がこの遺伝子を保有しているそうで、シャロン氏もその例外ではなかった。そこで生まれた疑問が
『なぜ、ヘモクロマトーシスのような体によくない病気の遺伝子が大勢の人に受け継がれたのだろう?進化とは有害な遺伝子を淘汰するものではないのか?』
というもの。本書が取り上げるのはまさにそういう話だ。

何が悪い遺伝子で、それを治すにはどうしたらいいのか、というような話をするつもりはない。そもそもなぜこんな病気が起こり、それが広がってきたのかを、進化のカーテンの裏側からお見せしたいと思っている。そこから見えてくるものに、皆さんは驚き、感動することだろう。そしてこの本で得られる知識は、僕たち皆が健康で幸せに長生きするための知恵につながると信じている。(p.14)


先述のヘモクロマトーシスは、体内の鉄代謝を乱す遺伝性の病気をさす。(参考:サービス終了のお知らせ - gooヘルスケア
通常、体内の鉄分はその吸収量を調節することで体内に余分な鉄がたまらないようにできている。しかしヘモクロマトーシスの人の体はつねに鉄が足りないと思い込み、過剰に鉄を吸収し続け、それが原因で様々な病を引き起こしてしまう。
このようなやっかいな遺伝子が進化の過程で淘汰されずに子孫へ受け継がれてきたのはなぜだろうか?淘汰されなかった以上、その遺伝子が存在する方が有利な理由が何かあったはずなのだ。
この疑問に関する次のような謎かけが本書に示されている。
Q:40年後に必ず死ぬと決まっている薬をあなたが飲むとしたら、その理由はなんだろう?
A:それはあなたが明日死ぬのを止めてくれる薬だからだ


ほとんどの生物にとって鉄は必要不可欠なものだ。人間はもちろん細菌も生きるために鉄を必要とする。人間の体内の病原菌やガン細胞も増殖するために体内の鉄を狙っている。
その話とヘモクロマトーシスの遺伝子が残っている話を結びつけるため、物語は14世紀半ばのヨーロッパへと移る。腺ペストという恐ろしい伝染病が猛威を振るっていた時代だ。
腺ペストによる被害は甚大なもので、その当時のヨーロッパ人口の1/3〜1/4にあたる2500万人以上の命を奪った。一方、この病気にかかった人の全てが亡くなったわけではないことも分かっていた。死んだ人と生き残った人を分けた要因、それは鉄だった。最近の研究によれば、体内の鉄分が豊富な集団ほどペストの害を受けていたことが分かったそうだ。栄養不足等で鉄が不足している人よりも、健康な人の方が感染率が高くなっていた。
すると、体内に余分な鉄を蓄えてしまうヘモクロマトーシスの人は、ペストのような感染症に人一倍かかりやすくなるのではないか。
ところが実は、ヘモクロマトーシスの人は体内の鉄が病原体に使用されないように常時、鉄を封じ込めている状態となっている。ヘモクロマトーシスの人のマクロファージ(白血球の一種)は鉄が非常に少ない状態となり、そのためマクロファージに見つかった病原体が彼らに取り囲まれると、他の細胞との接触を遮断されるばかりか、ついには餓死してしまうそうだ。これが普通の人の場合だと、マクロファージには豊富な鉄分が含まれているため、マクロファージが病原体を取り囲むと皮肉なことに病原体に鉄という栄養を与えることになる。


ここで先の謎かけに戻ってくる。

中年になるころ鉄の過剰蓄積であなたの命を奪うかもしれない遺伝子が選ばれたのはなぜだろう?その遺伝子は、あなたが中年に達するよりもずっと前に死ぬかもしれない病気から守ってくれるからだ。
(中略)
ヘモクロマトーシスの変異を受け継いだ人は、鉄を含まないマクロファージのおかげでペストに対抗できた。その人はヘモクロマトーシスのせいで中年以降に死んだとしても、それ以前にペストを生き延び、子を作るため、変異遺伝子を次世代に伝える。中年になるまで生き延びられる人が少なかった時代には、中年になるまで感染症で死なないというのはひじょうに有利なことだったのだ。(pp.35-36)


本書ではその他、

  • なぜ、1型糖尿病になる人は北ヨーロッパの出身に多いのか?
  • なぜ、人はマラリアにかかると寝たきりになるのに、ふつうの風邪なら会社に行こうとするのか?
  • なぜ、人間の体には、何の役にも立っていないように見えるDNAがこんなにたくさんあるのか?

といった疑問を探求していき、それぞれに対して何ができるのかをきちんと考えていく。ただの科学エッセイで終わらない点が素晴らしい。
最後に目次のご紹介。本書で取り上げる疑問に興味を覚えならぜひ一読をオススメ。

第1章 血中の鉄分は多いほうがいい?
第2章 糖尿病は氷河期の生き残り?
第3章 コレステロールは日光浴で減る?
第4章 ソラマメ中毒はなぜ起きる?
第5章 僕たちはウイルスにあやつられている?
第6章 僕たちは日々少しずつ進化している?
第7章 親がジャンクフード好きだと子どもが太る?
第8章 あなたとiPodは壊れるようにできている