Webの進化は解像度の向上をもたらす

Webの進化は解像度の向上をもたらすんじゃないかなと思います。
ここで言う『解像度の向上』は、
今までぼんやりとしか見えていなかったWeb上の『個』が、Webの進化とともによりはっきりと見えるようになる
ということを意味してます。


これは先エントリのPersonalなWebサービスと関連して考えた、かなりフィクションに近いお話です。
従来のWebでは、極限られた人を除いて大部分の人が『Webの一参加者』というanonymousに近い存在でした。
それでも徐々にWebは進化し、例えば個人でも低コストでホームページを所有する事が可能となり、Web上の『個』がじわじわと増加してきました。
そしてブログの登場により、Web上の『個』数は一気に爆発的に増加しました。


Web上の『個』数は確かに増えました。
Webを上空から俯瞰すれば多数の点がWebの表面を覆っているイメージです。
しかし、その表面をクローズアップしていくと、その点は徐々にぼやけてくるでしょう。
Google Mapsを利用した際に、地表に近づくにつれ衛星写真の画像が荒くなってくる感じです。
確かにそこに『個』は居るのに、その『個』を特定できるほどにはWebの解像度は高くなかった。


ところがWebの進化はとどまる所を知らず、日々新しい技術やサービスが模索され誕生しています。
ソーシャルネットワークソーシャルブックマーク、趣味嗜好に関してはLast.fm音ログのような音楽関係のサービスからAmazon Web Serviceの利用やブクログといった書籍関係のサービスなど、実に多様なサービスが現在利用可能となっています。
そしてこれらのサービスを利用すればするほど、自分というものをWeb上に公開することに繋がっていきます。


Personalな情報の一部をWeb上にコピー可能となった、或いは『個』を語るための材料が増えてきた。
そんな風にWebの進化を捉えると、従来と比べて『個』が鮮明に見え始めた、つまりWebの解像度が上がってきたのではないかと思うわけです。
今まではぼんやりとしか観測できなかった地表の点でも、虫眼鏡で見てみるとちゃんとそこには人の顔があり、その表情まで見て取れるようになってきた。
それがWeb進化によってもたらされる恩恵の一側面だと思います。


ただし、それを恩恵として受け止めるかは人それぞれ。
またいくら解像度が上がったとしても、自分で能動的に動かなければ点はぼやけたままでしょう。
まだ匿名文化の根強い日本で、Personalな情報をどこまで公開するか、或いは公開しても大丈夫な空気をどうやって作るか、私はその辺に注目してWebを眺めていきたいと考えてます。