『あちら側』へ行くということ

見慣れない場所の物語 - naoyaのはてなダイアリー
この物語を読んだとき、これは梅田望夫さんが言うところの「二つの別世界」の事かなと思いました。
[参考]理解しあうことのない「二つの別世界」の予感
この中では『インターネットに住む人』と『インターネットを使ったこともない人』が例として出てきます。それぞれが『あちら側』と『こちら側』に対応していると思います。


この物語、全体的には心惹かれる内容ですが、最後の『あちら側至上主義』といった感じの結論だけはちょっと引っかかりました。
『あちら側』に行くべきかどうかは、常にケース・バイ・ケースなのが実際でしょう。


例としては不適切かもしれませんが、『Winny』の場合で考えます。
この場合、『こちら側』=『Winnyを使ってことがない人』、『あちら側』=『Winnyに住む人』です。
『あちら側』には面白くて楽しいことがたくさんあるでしょう。
しかし、その面白くて楽しいことのほとんどは違法性の高いものだと思います。
また、怖いモンスターや危ない罠(=ウィルス)が存在するのも事実です。
実際、最近ではWinny経由で感染したウィルスによる情報漏洩が社会問題化しています。
この場合、危険を冒してまで『あちら側』に行くのは、全然得策ではないと言えるでしょう。
「でも、私は怖くて危ないのでこちら側にいたいです。」
と考えるのが一般的であり、またそうあるべきです。


とは言え、私は『あちら側』を否定するつもりは全くありません。
Winnyの場合はその使われ方が問題であっただけで、その発想・仕組みは素晴らしいものだと思います。(実際、私は「Winnyの技術」を買いました。)
この物語を読んで、危険を冒してまで『あちら側』へ行くことの意味を考える事が重要なのだと私は感じました。


[余談]
物語全体の雰囲気から、Dragon Ash『陽はまたのぼりくりかえす』の一節を思い出しました。

陽はまたのぼり繰り返していく 僕達の上を通りすぎてく
生き急ぐとしてもかまわない 理由がいる人は残ればいい


陽はまたのぼり繰り返していく 僕達の空をのみこんでいく
生き急ぐとしてもかまわない 飛べるのに飛ばないよりはいい