議論のウソ
- 作者: 小笠原喜康
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2005/09/17
- メディア: 新書
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本書では大きく4つのウソを取り上げ、詳細な議論でもってそのウソを暴く、という構成であり、統計学に疎い私でも非常に分かりやすい。
本書で取り上げるウソには以下のものがある。
- 統計のウソ
「少年の非行が凶悪化している」という話題を取り上げる。統計という一見科学的であるような数字によるものであっても、そこには何らかの意図が入り込む危険があるため、統計を使う側はどういった意図で統計を用いるかを十分に意識的になる必要がある。
- 権威のウソ
「ゲーム脳」を取り上げる。情報の送り手が専門家であっても、安易に妄信してはならないことを説明し、私たち情報の受け手にも課題がある点を指摘する。
- 時間が作るウソ
携帯電話の悪影響のうつりかわりを取り上げる。ある時期には妥当な判断であっても、情勢が変わると妥当とはいえなくなるため、過去の事実にいつまでもこだわるのは危険である。どんなに正しそうなことでも、常に再検討する構えが必要であると筆者は述べる。
- ムード先行のウソ
「ゆとり教育」の問題を取り上げる。近年、ゆとり教育の導入による日本人の学力低下が問題視されている。筆者はこの問題に対し、『「ゆとり教育」の問題は、それが「学力低下」の根源であるとするには、あまりに証拠がなさすぎる』とし、『こうした社会の在り様を考えるときには、軽々に結論を急いではならないのではないか』と述べている。
ホワイトバンドが問題視された背景には、こういった「ウソ」を見抜けなかったことが関係するように思える。
日本のみならず世界のアーティストや俳優たちが出演し(権威のウソ)、ホワイトバンドを購入する事で世界の貧しい人を直接的に救う事が出来ると思い込んでしまった(ムード先行のウソ)ことが、結局「詐欺行為だ」と騒がれるまでになってしまったのではないか。
筆者は『どれが「ウソ」で、どれが「ホント」かという議論は、一見必要で生産的であるようにみえるが、その実あまり生産的ではないかもしれない。スパッと結論を決めてしまうと、他の可能性が全て消えてしまうからである』と述べている。
人は他人の作った「物語」ばかりか、一瞬直前の自分が作った「自分物語」をも消費して生きている。
そういった自分物語の「ウソ」に自覚的になることが重要ではないかと筆者は説いている。
メディアの流す情報を判断するのは自分であり、そう判断した自分をさらに判断するのは、結局は自分であるのだから。