私にとっての良書は、あなたにとっての良書ではないかもしれない

そんなことを、この頃ぼんやり考える。


ある本を読んで、あまり面白くなかったなと思っていると、
後日、あるブログの書評で絶賛されていたり。


反対にとても面白かったなと思った本が、
あるブログの書評であまり良い評価を受けていなかったり。


そのこと自体はあまり気にしていない。本は音楽や映画と同じように、個人の選好に強く影響されるものだから。
気にするのは、その個人の感想・評価が、その本自体の評価や価値を決めてしまっていないだろうか、ということ。


本には、主張や背景や目的や、あるいはジャンルや文体や、とにかくその本を特徴付ける属性とでも言うべきものが存分に盛り込まれている。
盛り込まれているのだけど、その中のどの属性を観測できるかは読者依存で、その全てを観測できることは無いだろうと思う。
ふわふわしてて定まらない本を、Aさんが観測することでそれはAさんの本になり、Bさんが観測することでそれはBさんの本になる。
AさんとBさんとで観測の方法や精度に差があるのだから、その本に対して抱く感想は違っていて当然だ。
だから、Aさんにとっては良書でも、Bさんにとっては良書ではなかったなんてこともあって当然だ。
10人居れば10個の感想があっていい。でも、本の属性は相変わらずふわふわしたままで、本はただ次の観測者を待っているだけ。
本に万人共通の評価を定めることなんて出来やしない、と個人的には思う。


そんなことを考え始めたきっかけは、まあいろいろあるのだけど、一つにはてなブックマークでホットエントリ入りしている書評で紹介されてる本を読んで、全然ピンとこなかったことが何度かあったから。
それからはそのブログの書評を参考にすることは止めて、ある意味「参考」にすることにして、代わりに自分と背丈の合う書評ブログを探した。
結果、いくつかそのようなブログを見つけることができ、新しいエントリが投入されるのが楽しみで仕方ない毎日。


このブログで毎月の購入本を一覧で紹介したり、たまに本の紹介をしてみたりするのは、「これ、面白いから読んでみて!」というよりむしろ、「私はこういう本を面白いと感じる人間ですよ」とアピールするため。まあ常套句として「オススメ」と書くことも多いけども。
もし私の守備範囲と重なる部分がいくつかある方が居れば、その人にとっての参考になればいいなぁと思う。
私にとっての良書が、あなたにとっても良書であったなら、上手く言えないけどどこか嬉しいです。