『この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス』 チップ・ウォルター[著] 梶山あゆみ[訳] (早川書房)

この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス

この6つのおかげでヒトは進化した―つま先、親指、のど、笑い、涙、キス

人類史数百万年のミステリを人間だけが持つ6つのアイテムから読み解く。


進化が生みだしてきた数々のユニークな生物。その最たるものが人間だ。特に際立つ特徴が次の6つ、大地をしっかり踏みしめる太い「足の親指」、自在に動かせる「手の親指」、複雑な音を作る「のど」、コミュニケーションに彩りを添える「笑い」と「涙」、愛をささやく「キス」だ。祖先たちは、この6つの貴重なアイテムを求めて進化の道を駆け回り、ある者は舞台から姿を消し、あるいはまったく別の種へと変貌を遂げ、厳しい競争に打ち勝った者だけがホモ・サピエンスというゴールにたどりつくことができたのだ。 最新の遺伝学と脳科学を駆使し、ちょっとユニークな視点から描きあげる、波瀾万丈の人類進化物語

この6つのおかげでヒトは進化した:ハヤカワ・オンライン

人間と猿(チンパンジー)のDNAの違いは1%程度という話を聞いたことがある。
なるほど確かに彼らと人間は外見的には近しいものを感じなくもないが、社会や文化といった観点からはとても1%の違いでは物語れない歴然とした差が見て取れる。
猿と人間を別の種に分けているもの、言うなれば「人間を人間足らしめているもの」は一体何なのだろうか。
本書ではそれらを6つのテーマに絞って、遺伝学や脳科学、考古学などの最新研究を交えつつ説明してくれる。


私たちが現在の「人間」になるために必要とした6つのものとは、本書の副題に挙げられている「つま先(正確には足の親指)」「親指(手の親指)」「のど」「笑い」「涙」「キス」である。
例えば足の親指の進化は人間が二足歩行をするために必要なものであったし、手の親指の進化は物体を安定して保持する(そして道具を作る)ために必要なものであった。また、二足歩行するようになると背骨と頭蓋骨をつなぐ骨やのどの形状が変化し、そのおかげで言語のように複雑な音を操れるようになった。チンパンジーが言葉を話せないのは覚えが悪いからではなく、言語を発する仕組みを体内に持たないことが大きな原因だ。


面白いのは、人間が二足歩行し道具を作ることを覚えることで、人間の性や意識にも変化が表れはじめたことだ。
人間が道具を作るとき、例えば「この石で、あの骨を、砕く」といった具合に所定の行動を所定の順序で起こすことが要求される。この「道具を作る」という動作は実は言語の獲得と強く結びつけられているのではないかと考える科学者がいる。

したがって、当然ながらこういう結論になる。道具を作ることは、道具を生みだすだけでなく脳を再構成することにつながった。そのおかげで、手が世界とやりとりするのと同じ方法で脳が世界を理解できるようになったのだ、と。私たちの操り人形の指は、周囲の物体と物理的な会話をしている。その会話が脳に影響を与え、脳が物事を系統だてたり考えを組み立てたりするときのやり方を方向づけた。(中略)現実には、五感で感じることのできる具体的な順序がある。そしてその順序のなかから、人間らしい複雑な試行と言語の萌芽が生まれつつあった。(p.97)


本書の前半で取り上げる3つ(「足の親指」「手の親指」「のど」)はどちらかといえば知性の進化のお話であり、一方後半の3つ(「笑い」「涙」「キス」)は感情の進化のお話がメインとなる。(ただ「キス」だけは進化的というよりも文化的に獲得されたものだ)
「人間は知性的で猿は感情的」と二分できれば話は簡単だけれど、「人間らしさ」を構成するには感情の進化や知性と感情の結びつきがとても重要だ。
なんといっても感情的に涙を流す動物は人間だけなのだから。(目から水分を出すだけの動物はいくつか存在する)
私たちは悲しみや怒りといった感情が原因で涙を流すことがある。一見すると気持ちを高ぶらせる神経系が涙の原因っぽいが、実は興奮状態にある神経系を平衡状態に戻すために別の神経系が働くことが涙を誘発するのではないかという説があるそう。
つまり私たちは悲しいから泣くのではなく、悲しみを静めたいから泣くらしいのだ。興奮状態が続くことは生物にとって好ましいことではないので、それをいち早く回復する手段が必要となり、人間の場合は「泣く」ことが生き残りの戦術として残ったわけだ。
でもそのことは「涙を流す」理由にはならないように思える。興奮を静めるために「泣く」ことが必要だとしても「涙」はいらないのでは。むしろ視界がぼやけたりして危険であり、生物的には不必要な気すらしてくる。
なぜ涙が進化の過程で淘汰されずに残ったのか、それは「ハンディキャップ理論」で説明できるという説があり、簡単に言えば、余分なエネルギーを使って無用の注目を浴びるようなハンディキャップを背負ってまで涙を流すことは、より強力なメッセージを伝えることを可能とするからだ。私たちは自分の意志で自由に涙を流すことは難しい。それゆえ、涙を見るとその背後にある感情が本物であることを強く認識できる。(だからこそ嘘泣きは強力な武器になるのだろうなぁ)


本書では人間がどういった進化を経て、何を獲得することで、今の私たちが作られたのかを説明しているが、最後にそれらのお話を踏まえて人間の未来像にも手を伸ばしている。本書の言葉を借りれば「サイバー・サピエンス」になる、と著者は述べる。この辺はSF的な話になるが、なるほどなぁと考える指摘もいくつかあった。
過去から現在、そして未来へ続く人間の進化に興味がある方なら本書は面白いんじゃないかな。